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宮沢賢治の詩と斎藤 宗次郎との関蓮とは? [雑感]






宮沢賢治の詩で「雨ニモマケズ」は作品の中でも、

あまりにも有名な詩です。

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク、、、、

など続きます。


ほんの数10行の手帳に書かれた詩が、

多くの人に読み続けられているのですから、、、

時代は変わっても,

人の心を揺すぶるものが数行の詩の中にあるんですね。

宮沢賢治は明治29年の8月に花巻の母の実家で生まれています。

昭和8年9月、37歳の若さで結核で亡くなっているんですね。


生前に出版されたのは童話集「注文の多い料理店」と

詩集「春と修羅」だけだったそうです。


だから、亡くなってから有名になったようですね。


宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」のモデルは、

斎藤 宗次郎とも言われているようです。

斎藤 宗次郎は、無教会主義キリスト教徒であった、

内村鑑三の最も忠実な弟子の一人で、

内村鑑三の亡くなるまで、

隣室に泊り込んで、日夜身の回りの世話をしたそうです。

内村鑑三は、聖書の読方、後世への最大遺物、

楽しき生涯などの作品を出しています。


日露戦争の時にその内村鑑三に影響され、

斎藤 宗次郎は非戦論をとなえ、

当局から、にらまれ教員の職を失ったようです。


そして、新聞取次店を営みながら生計を立て、

清貧と信仰の生活を送ったようですね。


宮澤賢治の勤めていた、

花巻農学校に斎藤 宗次郎が、

新聞の集金に来た時に、

宮澤賢治が招いて、

斎藤 宗次郎と一緒に、

蓄音機で音楽を聞いたりしたようです。


そのような関蓮から斎藤 宗次郎の人柄などみて、

宮澤賢治は「雨ニモマケズ」を書いたのでしょうか?


そんな宮沢賢治の青空文庫の詩「雨ニモマケズ」の無料アプリを作ってみました。
雨(文字512完了).png

雨にも(インスーる画面).png
https://play.google.com/store/apps/details?id=hb.tp1.jp.k.hisatsune.menimo&hl=ja

アンドロイドのスマートフォンなどにインストールして時折読んでみて下さいね。

私も「雨ニモマケズ」は何回か読みましたが、

何故か胸にぐっときます。

「雨ニモマケズ」は斎藤 宗次郎と宮澤賢治の関蓮から出来上がった詩なんでしょうか?

詳細な関連は分からないですが、その関連性は別として、


「雨ニモマケズ」は短い詩にも関わらず、

世代に関係なく、

きっと感動されると思います。








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