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山月記と戦争と1942年

人はいかなる時に、

人を捨てて畜生に成り下がるのか。

人間の心を炙り出した中島敦の短編小説

「山月記」は 1942年に発表された作品で

中国の唐の時代に書かれた

清朝の説話集などを元に作られた

小説のようです。

中島敦は日本橋の商家の生まれで

東京帝国大学国文学科卒で

高校教諭、パラオ南洋庁書記などを

しています。

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芥川賞の候補にもなっていますが

33歳の若さで亡くなっています。

青空文庫のいくらかの

読み物アプリを作っていますが

中島敦もそうですが

宮沢賢治は37歳、

石川啄木はわずか26歳で

亡くなっています。

江戸時代までは

日本人同士の戦争で

多くの日本人が戦死しています。

江戸時代から

は徐々に日本人同士の

戦争から

日清戦争、日露戦争、

太平洋戦争など

外国人と日本人の戦争に

変わってきています。

昔は、

武士と武士との戦いでしたが

大量破壊兵器の出現で

あらゆるものを無差別に

破壊出来るようになり

戦争も無差別殺人に

変化してきていますが

中島敦もこのような混乱と

厳しい時代の中で

健康を害して

命を失ったのでしょうか?

多くの才能が有る人たちが

惜しまれ短命で人生を終わっています。

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https://play.google.com/store/apps/details?id=hb.tp1.jp.k.hisatsune.sanngetuki

「山月記」が 発表された1942年は

日本はミッドウェー海戦で大敗北して

日本軍は4空母と巡洋艦1雙、航空機322機、

人命3500を失う大敗をしています。

そして、ガダルカナルの攻防では

補給を断たれた日本兵は、

ジャングルのなかで、

飢えとマラリアに苦しみながら

死んでいます。

戦死者2万4000人のうち、

餓死・病死は1万5000人にも

なったそうです。

戦況は徐々は悪化して

日本本土に大量の爆弾や

原子爆弾のが投下されています。

第二次世界大戦の犠牲者は

軍人の数より民間人の数がはるかに多く

当時の世界人口の2.5%以上が

戦争被害者となっています。

ユダヤ人迫害のナチから逃れて

アムステルダムの隠れ家にひそんで

13歳の「アンネの日記」が書き始められた

年もこの「山月記」が発表された

1942年のようです。

そんな時代を生きた

中島敦の山月記(青空文庫)のアプリを作りました。

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https://play.google.com/store/apps/details?id=hb.tp1.jp.k.hisatsune.sanngetuki

他のアプリも作っています。

下記をクリックで見ることができます。

https://play.google.com/store/apps/developer?id=hisatsune+katsuhiro&hl=ja

アプリはアンドロイドの

スマートフォンなどに無料で

インストール出来ます。

インストールは

私のアプリはアンドロイドでは

スキップ → 同意 → インストール → 開く

でアプリのアイコンが

画面に表示されます。

もし、私のアプリが Good ならば 

インストール画面の下部の

g + 1 のボタンをお願いします。

Facebookで言えば「いいね!」のボタンです。


最後まで読んで下さって

有難う御座いました。

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