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北鎌倉の東慶寺と宮内庁 [雑感]

数日前ですが、

北鎌倉の東慶寺に行きました。

東慶 圧.jpg

東慶寺の宝物館の奥にお墓が有ります。

昔からのお墓でしょうか

今のお墓とは形がちょっと

違います。

そのお墓の場所に

宮内庁の石碑を見つけました。

宮庁 圧.jpg

宮内庁は皇室関係の内閣府の機関ですが

この宮内庁の石碑の表側は

用堂 圧.jpg

用堂女王墓そして

後醍醐天皇の皇女と

書かれています。

石碑の横の階段を登ると

用堂女王の

お墓が有ります。

写真に撮りました。

用堂 墓圧.jpg

一番奥の階段があるお墓だと

思います。

手前のお墓も現代のお墓と

形が違います。

多分、

用堂女王の関連のお墓ではと

推測しますがどうでしょう?

後醍醐天皇は鎌倉時代から

室町時代の天皇なので

多分これらのお墓は

その時代からのお墓だと思います。

次の写真は何だと思いまか?

始皇帝稜(圧縮).jpg

中国の秦の始皇帝のお墓です。

写真は始皇帝陵と石に書かれた場所から

撮りました。

その石の後方に山のように見えますが

粘土を積み上げた

始皇帝のお墓のです。

このお墓の中には盗掘など

を避けるために

様々な仕掛けがして

あるのかもしれません。

膨大な敷地の中に有るお墓です。

日本ではこれほどの

お墓はないと思います。

日本の用堂女王のお墓は

小さなお墓ですが

鎌倉時代から

何年も管理されて

来ているのですから

凄いと思います。


山のようなお墓も

小さなお墓も

亡くなったら同じですが

当時の一般の人のお墓は

残っているのでしょうか?


東慶寺は

駆け込み寺だったそうです。

江戸時代は離婚も

現代の2倍だったようです。

江戸時代は離婚は全然なかった

と思っていたので驚きました。

東慶寺の中に

映画のパンフレットが

置いて有りました。

映画は『駆け込み女と駆け出し男』

で5月16日から

放映されているようですよ。







映画の原案は

井上ひさし さんの

東慶寺花だより/文芸文庫刊 になっています。

映画のパンフレットには

江戸時代、離婚を望む女たちが駆け込む寺があった。

とあります。

どんな映画なのでしょう。

映画の詳細は下記のクリックで見ることができます。
http://kakekomi-movie.jp/

東慶寺を入ると

右側に大きな釣鐘が有りました。

東慶 鐘圧n.jpg

写真に撮りましたが

この彫刻や釣鐘も鎌倉時代からの

ものなんだろうか?

人は100年もすると

姿は変わってしまいますが

釣鐘はこれからも

何百年も変わらず

東慶寺のシンボルとして

鐘を鳴らすのだろうか?

東慶本 圧.jpg

写真は東慶寺の本堂です。

そして

入口には夏目漱石の石碑も

有り写真に撮りました。

漱石 碑圧.jpg

夏目漱石の夢十夜 は下記で読むことができます。
https://play.google.com/store/apps/details?id=hb.tp1.jp.k.hisatsune.yume15

アプリもブログも練習中です。

ちょっと

苦しくなりましたが

東慶寺でをテーマに

4記事作りました。

出来れば

あと一記事作ってみたいです。

数十PVが多かったのですが、

昨日と今日で

1000PV近いページビュウの表示があつたので

びっくりしました。

無料ブログで容量も有ると

思いますがあと何記事かけるのだろ?

最後まで読んで下さって

有難う御座いました。





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